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当事者活動をはじめたきっかけ

一般社団法人精神障害当事者会ポルケ 代表理事  山田 悠平

 当事者活動について目に触れる人が増えているのではないでしょうか。当事者活動ってそもそもなに?って定義が難しくなるほど、多種多様な取り組みを目にします。そして、その期待から、社会的な位置づけとしての意味がますます問われるものになっていることを実感します。しかし、現状においては、「ピアサポートの活用」と言われるような福祉医療における支援/被支援の関係における有用性といったような非常に限定的な範囲に矮小化されているようなきらいがあります。そのことを私はとても残念に思っています。

 他方で、これも残念なことではありますが、当事者の語りが専門職や研究職を名乗る者によって都合よく搾取されていることを度々目撃しました。自分の主張を正当化するために、ケースの文脈を装い、当事者に介入的な示唆をするような話も聞きます。都合よく主張に汲み取られた「事例」というものにはどこかいやらしさがあり、薄々それに気づいている人も少なくないはずです。そして、ある意味では巧妙なことに、こういった利用主義は当事者の存在をまるでないものにしてきたカウンターを装いながら浸食がなされています。当事者の経験や思いを素直に表現するということは、簡単なようで案外難しいことなのかもしれません。

 今回の凸凹ライフデザインさんの企画もそういった課題を背景事情にしながら、取り組まれているようにお見受けします。このような取り組みの広がりを期待の前置きをさせていただきつつ、ここでは私の当事者活動の原体験をひとつ述べさせていただきます。

 私は、21歳の頃に初めて私は精神科医療にお世話になりました。かれこれあと数年で、人生の半分が精神科医療とのお付き合いとなります。私が経験した精神科医療の初期の支援について、合点がいかないことばかりでした。主治医は全然話を聞いてくれないし、服薬治療についての説明もほぼ皆無でした。症状は治まるどころか強くなるし、漠然とした不安に日々襲われていました。不安というとどこか症状にとらえられるきらいもありますが、診察に対しての不全感がそんな感情にアクセルを踏み込んでいるような感覚が今でも残っています。

 入院した時の支援職との思い出については、嫌だった記憶の方が強く残っています。ある男性の中年の看護師は、精神科病院に入院してきたことをどこか小ばかにするようなことをネチネチいう人がいました。途中から声を聞くのも嫌になりました。またあるときは、臨床心理士に副作用に関連して悩んでいること相談をしたところ、そんなことに悩まなくていいよって言われました。私は言葉を失いました。耳をふさぎ、口をつぐむ、それが私の入院生活で強く記憶に残っていることです。そのような私を対人恐怖症とされているようなものなら、なんと滑稽なことでしょうか。なお、ある時医師に、陰性期に入り自閉の傾向が強まっているというようなことを言われたことを添えさせていただきます。

 さて、これまで私は精神科病院に4回入院を経験したのですが、入院先で知り合った当事者先輩の倉嶋さんとの出会いが今日にいたる私を導いてくれました。それこそ当事者活動の原体験をいただきました。倉嶋さんはアルコール依存症と双極性障害をもつ中年の男性でした。入院をきっかけにしてその後パートナーと離縁となり、勤め先を退職することを余儀なくされます。そのことがこのあとに起きるであろうことを悟っていながらの入院だったのだと思います。四人部屋の窓側、私のベットの正面に倉嶋さんは入院をしました。ひとりにひとつ支給されるべきゴミ箱が、初日にどうやらなかったようで、私は自分のゴミ箱を彼との間の壁側に置いたことがきっかけで交流が始まりました。もう少し正確に申し上げると、それをきっかけに倉嶋さんは私とお話をしてみたいと思ったのだよと後日教えてくれるのでした。

 二十歳そこそこの若造が、自分の年齢の倍以上の方々と語らいの時間をいただけたことは、人生の薫陶を受けたといっても過言ではありません。倉嶋さんは半生で起きたこれまでのことをゆっくりと語ってくれました。私もそれに倣い、これまで起きたこと、感じたこと、医師や支援職らには話せなかったようなこともぽつぽつと言葉を紡いでいきました。この時間は私にとって本当にかけがえのない温かみのある時間でした。毎夜消灯後に、眠剤がきくまで話すのがしばらくの日課になりました。

 そのような語らいの中で、倉嶋さんが教えてくれたことのひとつがアルコール依存症の自助会の取り組みでした。静けさの祈りとともに、アルコール依存症への自身の向き合いを話してくれました。この語りに私は勇気をもらえました。それまでの私は自分が経験している精神障害の様々が黒歴史で、隠すべきもの克服をするべきものと強く思い込まされていたということを知りました。その意味について私は理解というか、体感できたのだと思います。

The Serenity Prayer
God, grant me the serenity
to accept the things I cannot change,
courage to change the things I can,
and wisdom to know the difference.

神よ
変えることのできるものについて
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを
識別する知恵を与えたまえ。

(ラインホールド・ニーバー "The Serenity Prayer"、大木英夫訳)

 倉嶋さんとの出会いは、振り返ると私の当事者活動をはじめる大きなきっかけを与えてくれました。退院後も自宅を訪れていただくなどの交流を続けていましたが、今生の別れは早々に訪れてしまいました。当事者活動の様々をいつか天国でゆっくり語る時が今から楽しみです。当事者活動で私が大事にしたいことのひとつは、当事者として経験した精神障害を抱えたことへの捉え方です。精神医療福祉が前提としているような社会復帰の合言葉よろしく、治すありきの価値規範から外れることができて、私は随分と楽な気持ちになりましたし、不思議なことにあれほど忌嫌っていた幻聴がなくなっていきました。この経験は私にとって、なにごとにも代えがたいものです。大切にしたい気持ちを仲間とも育みながら、今後も活動を広げていきたいと思います。

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