当事者会は「素」の自分に戻れるところ
発達障害をもつ大人のためのお喋りサロン「ほんわかカフェ」代表 水野 かえる
私は2009年6月から「ほんわかカフェ」という、発達障害をもつ大人のための会を開いてきました。一人ずつ自己紹介をしてから雑談をするだけの、とてもゆるい会です。自分から話すのが苦手な人は皆さんの話を聞いてるだけでもいいですし、人前で話すことが苦手な人は自己紹介をパスしてもOKです。会で見たり聞いたりしたことを他言したりSNS等に書かないで、など最低限のことはお願いしていますが、とくにルールなどはありません。「言いっぱなし・聞きっぱなし」ではなく、気軽にお喋りという感じです。
2019年ごろまでは毎月1回、ほぼ休みなく開催していましたが、感染症が流行し始めたころからは不定期です。
以前は、毎月ちゃんと開催しなければ、とか、準備をきちんとしなければ、などと思っていたのですが不定期にしたころから少しずつ考えが変わってきました。この会はもちろん自分がやりたくてやっていることですが、会場の予約、名札などの備品と開催当日のお茶等の購入など、当然、多少の負担はあります。そして今年で14年目になりますので私も歳をとり、当初より確実に体力が落ちています(笑)。ですのでムリして「頑張って」やるのではなく、自分のできる範囲でゆるゆると続けていこうと思います。
「ほんわかカフェ」を始めたきっかけと私の思い
私は物心ついたころからずっと生きづらく、自分はダメ人間だという意識が常にありました。自分では必死に頑張っていても、どうしても他のみんなのように「ちゃんと」できないんです。
大人になり実家を出るともっと大変でした。家の中は常にいわゆる「汚部屋」(おべや)の状態で、子どもが友達を連れてくることもできません。このころには私は「生きててごめんなさい」という気持ちがいつも頭の中にあり「ここまでだらしなくて最低な人間は、この世に私ひとりしか居ない」と本気で思っていました。だから職場などでそれがバレないように必死に「普通の人」のフリをし、家では汚部屋のなかで泣くこともありました。
平成12年(2000年)、私が30歳のときにたまたま書店で手にとった一冊の本が人生を変えることになりました。
平積みにされて目立っていた「片づけられない女たち」が目に入ったとき「片づけに関する本なんて読んだって、どうせまた私は実行に移せないんだ。これも片づけのノウハウ本なのかな…」と思いつつパラパラとめくってみると、どうやらノウハウ本の類ではなさそう。片づけが「できない」ことに焦点を当てているようなのですごく気になり、私にとっては高い本でしたが購入しました。帰宅してさっそく読み始めると、そこには「私」がいたのです。まるで私の生活を見て書いたのではないかというほどでした。ものすごい衝撃を受け、号泣しながら一気に読みました。
その後30代前半に鬱で家にひきこもっていたころ、あの本を読んでからずっと気になっていたADHDのことをインターネットで調べてみると、自助グループがひとつだけ見つかりました。さっそく連絡をとり、ドキドキしながら参加してみて驚きました。今まで私が悩んで泣いてきたことを、みんな明るく「私もそれ、あるある~!」と笑い飛ばしているのです。だれも私を責めたり否定しないのです。何度も参加しているうちに私は少しずつ元気を取り戻していき、自分も生きていていいのかな、と思えるようになりました。
そのうちにスタッフになり楽しく活動していましたが、みんなともっともっと話したい、もっと会う回数が多いといいな、と思っていました。他のみんなもそんなことを言っていました。当時はまだ発達障害のことを知る人は少なく、精神科の医師でも「そんなものは気のせいだよ」などと言う時代でしたから、自助グループ、当事者会といったものがほとんどなかったのです。
そこで衝動性の高い私は「そうか、無いのなら自分で作っちゃえ!」と思いつきました。自助グループでみんなと会えたおかげで救われ、自分も生きていていいんだと思えるようになったので、こんどは私が、今この瞬間にも悩んでいる仲間の役に少しでも立てたらいいな、という気持ちも大きかったので、さっそく開催することに決めました。
活動をしていて良かったことや楽しいことなど
会ではさまざまな失敗や苦労などの経験談だったり、困りごとに対しての工夫など、さまざまなことが話題になります。自分と似たような経験をされた話を聞くと共感して嬉しくなって、勝手に親近感を抱いたりします(笑)。私には無い視点とか面白い考え方をもつ人の話には、驚いたり感心したり。とても学ぶことが多いです。他の当事者が試してみた工夫の仕方を、自分も取り入れてみようと思うこともよくあります。
参加された人から「どんな感じなのか、不安や緊張がありましたが、普段は話せないことも話せたり、気持ちをわかってもらえるので来てみてよかったです。」というようなことを言っていただいたり、そういったメールをいただくこともたまにあります。そんな時はやっぱり続けてきてよかった、“生きててごめんなさい”だった私でも今は悩める人の役に立てているのかな、と嬉しくなりますね。
皆さんが楽しそうに盛り上がっているのを見るだけでも本当に嬉しくなりますし、私も会話の輪に入って楽しみます。当日に会場で準備をしていると、今回はどんな新しい人に出会えるかな~と楽しみだったりもします。来てくださる皆さんの気持ちがほんの少しでも軽くなってくれたらいいな、といつも思って開催しています。
会を継続するために
最初のほうにも書きましたが、やはり主催者である私の負担が大きすぎると長く続けていくことができなくなるので、とにかく自分のできることをできる範囲でと思っています。
会の開催中はなるべく全体を見渡すようにしています。ポツンと寂しそうとかつまらなそうにしている人がいないか、4つほどに分けたテーブルをフラフラと渡り歩いたりして、初参加で緊張されていそうな人には軽く声をかけたりします。
スタッフは私を含めて二人だけです。スタッフの人数が増えると、どうしても意見が割れたりすることもありますよね。私自身も人間関係がすごく得意というわけではないですし、正直に言いますと、もし運営について反対意見や何か否定的なことを言われたとき、傷つくのが怖いのです。やはり失敗ばかり・叱られてばかりの人生だったせいか、人に注意を受けたり反対意見を言われるだけで辛くなってしまいます。だから基本的にスタッフは増やさないです。
当事者が集まることの意味
同じような悩みを持つ人たちで集まってお喋りできることは、本当に貴重で大切な時間だと私は思っています。とくに悩みの真っ最中だったり、自己肯定感がすごく低かったりで生きづらさを抱える人は、勇気を出して参加してみてほしいです。
当事者同士で話すのは、お薬よりも効く、なんていう人もいますしね。
日常生活のなかで発達障害をもたない、いわゆる「普通」と言われる人と何気ない雑談をする場合、自分の発達障害がバレないように気をつけながら喋ったりするので、本音では話せなくて適当に相手の人に合わせてうなずいたりしていることがあります。
よくあるケースですが、相手の人が良かれと思って「〇〇は、□□すればいいじゃん~」などとアドバイスしてくれることがありますが、私たちは心の中で「それはわかってるけど、それができれば苦労しないんだよ…」なんて思ってしまうこともけっこう多いのです。
その点、当事者同士なら、一般的に大人ならできて当然と思われていることの苦労などを思い切って話してみると、恥ずかしいどころか「私も同じですよ~」とか「わかるわかる~」という声が返ってきたり、すごくうなずいている人がたくさんいるので、安心して本音を話すことができます。そして、自分の場合はこうして乗り切った、とか、〇〇というアプリが便利だよ、というふうに、いろんな案が出てきたりします。
声高に多様性が叫ばれていてもやっぱりまだまだ偏見が多いこの社会のなかで、普通の人という「仮面」をかぶって、必死に生きている当事者がたくさんいるんです。だからせめて私はこの「ほんわかカフェ」ではみんな、その仮面をはずして「素」の自分でリラックスしてほしいと思っています。それがいちばんの願いです。