リルビットの世界をふり返る
熊本県発達障害当事者会Little bit(リルビット) 共同代表理事 須藤 雫
リルビット(熊本県発達障害当事者会Little bit)
…2011年7月に設立された熊本県初の発達障害当事者会。「ほんの少し」の違いで諦めなくていい社会を目指し、月2回程度の定例会の他、当事者・家族・支援者・地域の方々等の立場を超えた集い「カミングデー」の開催や全国各地での講演・研修活動等、幅広く活動している。
HP:https://littlebitkumamoto.wixsite.com/hattatu
Facebook:https://www.facebook.com/littlebitkumamoto
活動する意味
私にとって当事者会活動は、今やなくてはならない生活の一部になっています。
活動当初は、単に「私にとって面白いから」「私にとって意味があるから」、自分本位の思いで活動をしていたところがありました。今でも自分本位なところはありますが、そうでなければ続けにくいとも思っています。自分が楽しいと思えたり、自分で価値があると思えたりすることでないと、他の人にもそれは伝わらないだろうと思います。「なんのために?」と聴かれると、答えを一言で説明するのは難しいので、「とりあえず、リルビットの集いに参加してみて下さい、一度だけでなく継続的に。」と伝えたいと思います。活動に参加し続ける中で、自ずとその意味が見えてくるのではないかと思います。一人ひとり答えは違うと思います。
活動するメリットや活動していて楽しいこと
活動は同じことの地道な繰り返しですが、会の雰囲気は毎回変化します。人が一人増えるだけで、その場の空気感は変わります。当事者会のメンバーのなかには、「自分なんかいてもいなくても変わらない」と思い、自分の存在意義を見いだすことが難しい方もいますが、私としては、すべての人に存在意義があり、一人として欠けていい人はいないといつも思っています。一人ひとりの存在が本当に大事であることを、ときどき言葉にして伝えることもあります。長く関わっていくと、一人ひとりの特徴がすごくわかってきて、発達障害といってもほんとにその特性は多様だなと感じます。似ていることはあっても、違うことがたくさんありますが、その違いをみんな否定することなく、違いを違いとして受け入れてくれるので、とても居心地がいいです。社会ではまだまだ違うところがあると「変だ」とか「おかしい」とか「間違ってる」とかけっこう批判されちゃうので。社会から少し離れた空間というか、社会の延長線上に当事者会もあるというか、もっと当事者会みたいな空間が社会全般に広がると暮らしやすいのにというのは思います。
活動する負担や大変なこと
活動する中で、どうしても人間同士なので相性が合わないことや、考え方や価値観のすれ違いで衝突することもあります。ですが、「なんだか嫌だな」「なんかモヤモヤするな」と思った時、「自分が在る」ことを感じられます。嫌なことや嫌な人の存在によって、自分自身の大事なものをふり返ることができます。そのため、どんな人と会うことも私にとっては大きな意義があると思っています。
活動をしていると「人がなかなか集まらない」ということが何度か起きます。そういうとき、継続していて大丈夫かという不安もよぎってしまいますが、続けてきて思うのは、「どんなに人が来なくても続けていくことが大事」ということです。これはけっこう長期間当事者会を運営している人ならよく言われることかもしれませんが、本当に継続は力なりで、無駄な時間ってひとつもないんだなと今では思います。
考えさせられたこと、新たな視点を得た出来事
リルビットでは「対話」をしながら「他人を通して自分を知る」ことのできる場を継続して提供しています。どんなに専門書を読んだり、インターネットで検索したりしても出てこない答えがたくさん溢れているのが当事者会です。参加する当事者の方たちのこれまで生きてきたご経験の蓄積が、他の当事者の方の問いの参考になることはたくさんあります。私自身も何度も参加者の皆さんの声に考えさせられ、共感してきました。ある当事者メンバーの一人がさりげなく発言したことが今でも印象に残っています。
「私たちは障害者だけど、24時間障害者ではない」。発達障害のことをどういう障害なのかをシンプルに伝えた言葉で、とても深く、考えさせられました。
自分自身の変化
私はリルビットに出会って、少しおおげさかもしれませんが、世界が広がったと思っています。元々とてもおとなしくて目立たない存在でした。ですが、私の少ない発信に可能性を感じてくれた方がいて、その方がリルビットに誘ってくれたおかげでわたしの世界は変わり始めました。リルビットでは、正直みんなが何のために何を話してるのかよくわからないこともありましたが、それでも何か大きな意味のあることを語り合っているというのは理解できました。興味深く、もっともっとみんなの考えを知りたいと心から思いました。月に2回の集まりを継続する中で、その気持ちは弱まらず強くなっていく一方でした。
活動継続のために行っている工夫
私自身、活動をなぜ継続できているかと問われることは何度かあるのですが、その度に答えていることがあります。「みんなのことが単純に好きだから。この人たちと一緒に居続けるためにはどうしたらいいかを考えていたら、いつの間に10年以上経っていました。」という答えです。好きな理由はいくつかあるのですが、特に、当事者会のみんなが発信する言葉には、他の場にはない大きな価値があると思っています。先ほども述べたように、専門書やインターネット等で調べても出てくるような言葉じゃないと思っていて、いつもワクワクしたり、考えさせられたりします。
継続のためには、「無理をしない」ことも大事ですが、正直無理してた時期も何度もありました。「誰かに頼る」ということが下手で、自分ひとりで行動してしまうこともたくさんありました。今は、少しずつですが、メンバー一人ひとりにできることを見つけて、できることに取り組んでもらえるようにお願いする事もあります。いかにチームの全体のモチベーションを上げるかが大切だと思いますが、チームマネジメントについても学んでいく必要があると思っています。日々試行錯誤です。
当事者が集う・集まる意味
当事者会を開くことで、たくさんの当事者の方が集まります。最初のきっかけは、支援機関からのご紹介からだったり、ご自身で調べて来られたり、開催したイベントや講演をきっかけに当事者会に繋がったり、様々です。入り口は様々で、継続して集う理由も人それぞれです。ある当事者の方に言われた言葉が印象に残っています。
「わたしにとってここはペースメーカーのようなものです。なくてはならないのです。」と。
すべての参加者さんに集まる意味を聴いたことはないですが、聴いてみるのもいいかもしれないなと今回思いました。
なぜ集うのか。私にとってそれは安心だったり、好奇心だったり、探求心だったり。ひとつの日常だったりします。やっぱり当事者会活動は、私にとってなくてはならない生活の一部になっています。