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責任ある運動に向けて

全国「精神病」者集団 運営委員  桐原 尚之

 わたしは12歳の時に精神分裂病(現在の統合失調症)破瓜型と診断されて、ほどなくして普通学校から養護学校へ転入を余儀なくされました。一般の学校への進学は許されず、養護学校の高等部を終わってから作業所とデイケアに通っていました。ある日、事業所とのトラブルに巻き込まれました。地元では孤立していましたが、全国「精神病」者集団に相談したら「障害者は障害者の味方をします」と言われて心強く感じました。自分もこういう活動をしようと思って障害者運動をはじめました。まず、本人は退院したいけど、家族も医師も退院に反対している強制入院中の人の退院のサポート活動をしました。そのとき、制度の壁が大きいことに気づき、政策にかかわる活動にも取り組むようになりました。全国「精神病」者集団は、1974年の結成当時から強制入院反対を掲げています。わたしは、結成当初からの悲願をなんとか実現するために政策レベルでの合意形成へ向けて日々取り組んでいます。

 全国「精神病」者集団が結成時から掲げている精神衛生法撤廃の主張は、誰もが正しい主張であることを疑わないと思います。しかし、精神保健福祉法を実際に廃止するための青写真を示した者は、全国「精神病」者集団約50年の歴史の中で未だに一人もいません。もちろん、結成から30年間は、廃止の足掛かりさえないような状況だったので仕方ありません。しかし、ここ最近では精神保健福祉法廃止の余地がでてきました。わたしは、精神保健福祉法の廃止の具体的なビジョンを示すとともに理解者を増やしていこうと思っています。

 ところが、これまでは抽象的なスローガンとして叫んでさえいればよかった精神衛生法撤廃が、具体的な戦術を立てる議論をしていく時期へと移行するにつれ、その責任の重さが身に突き刺さってくるようになりました。なにせ、敗北したときの責任は重いです。これまでのように具体的な戦術を保留にしつつも、正しいスローガンを掲げて、ここに集った仲間にとって居心地がよかったらそれでよかったのかもしれません。しかし、数十年にわたって精神科病院に幽閉された仲間のことを考えたら、そんなことも言っていられません。そのようなこともあって、ここ数年間、責任のある行動を勝ち取っていくためには、なにをすればよいのかという議論を重ねてきました。言いっぱなしで終わりにさせず、成果につなげていくためにはどうしたらよいのかを真剣に話し合っていくことにしたのです。


 この運動は、自分たちの半径1メートルを居心地よくするためだけにあるわけではありません。あくまで、差別をなくして、包摂・共生の社会へと変革させていくために運動をしているのです。


 わたしは、精神医療とかかわって、精神障害者になって、少なからず差別や偏見など嫌な思いをしてきたわけであり、その悔しさをばねにしながら、この社会のあり様を変えるために闘ってきました。そんなこともあって、わたしには精神医療プロバイダー団体の強大な政治力を前にして負け続けることに人一倍「悔しい」という気持ちがあります。負け続けて悔しいのなら、勝つための運動をしなければなりません。勝つためには、戦略、戦術が必要となります。地道にやっていれば、そのうち何かが変わるなどと言うことに期待をしていてはいけません。あくまで、タイミングを逃さずにポイントで何かを勝ち取り、その結果の積み重ねによって社会が徐々に変わっていくのです。勝つためには、正確な情勢分析が不可欠です。厚生労働省が病院団体の意見に影響を受けることは周知の事実ですが、なぜ、影響を受けるのかは以外と知られていません。その理由は、立法府と行政府の政策決定プロセスにあります。厚生労働省の提案を確定させるためには、政党(とくに与党)の承諾が必要となるプロセスがあります。このタイミングで1人でも反対する議員が出てきたら、厚生労働省の提案は通らなくなると言われています。もともとは、民意を代表する国会議員が強大な行政権に歯止めをかけるための民主主義的な手続きとして誕生したものでしたが、現実には病院団体から多額の献金を受けた議員たちが病院団体の影響をうけてしまっています。
 

 さて、こうした精神科病院体制を成り立たせているのは、「精神障害者は迷惑だから関わりたくない」という市民の意識です。ここで重要になるのは、人々の意識を変えてから制度を変えるのか、それとも、制度を変えることで人々の意識が変わるのか、という順序の問題です。結論から言うと、私は人々の意識を変えてから制度を変えるという順番を全否定しています。なぜなら、実際に精神障害者と関わりを持つことによってしか、人々の意識を変えることはできないからです。しかし、精神科病院は、精神障害者とその他の人のかかわりを隔ててしまいます。精神科病院と非自発的入院制度がある状態では、精神障害者はどんどん入院させられてしまうので、市民が精神障害者とかかわる機会がどんどん少なくなっていきます。これでは、実際に精神障害者とかかわることがなくなってしまうので、人々の意識も変わりません。そうなると、我々が当面すべきことは、病床数を減らし、入院制度を変えることです。そうしなければ、否が応でも精神障害者と付き合わなければならない環境を作り出せません。

 

 入院制度を変えるためには、与党議員がプロバイダー意見を後押しすると非難されかねないと思わせるほどの世論を作り出す必要があります。ところが、未だにスローガンを叫ぶことだけに集中して、スローガンの過激さだけを売りにするような人たちが少数ですが残っています。中には、安全な場所から小石を投げたことを誇大に闘ったと流布し(例えば、ペーパーに文章を書いたとか)、そのことと別の仲間の運動を比較して冴えないなどと評論家ぶっている者もいます。その机上の空論の世界では、自分達はヒーロー、他の闘う者たちは愚かな反動のように描かれます。しかし、真面目にやってるやつが社畜に見えてしまうのは、人を見下したい願望でしかありません。隣人を見下して優位に立ちたい欲求を満たせても、権力には何一つ抗えないです。このような行動は、プレッシャーをかけるべき立法府に対して隙を与えてしまいます。なので、当然ながら控えていく必要があります。
 

 ここ最近ですが、全国「精神病」者集団が附帯決議を取る方を優先して、障害者関連法案に反対しなかったのがおかしいのではないか、といったことを言われたこともありました。今は、賛成も反対もせず、中身の批判だけしました。確かに、これまでなら象徴的に法案反対と言って、なんとなくまとまっている気持ちになれればよかったのですが、それはもう通用しません。反対すると言うことは、出し直しさせると言うことです。出し直しさせた後に控えている2024年の報酬改定や2028年の障害権利条約に係る第2回政府審査報告書などをどうするのかまで考えて決断しなければなりません。あくまで、非自発的入院制度を廃止させることに重きを置くのならば、附帯決議に従って政策を進めることが近道です。なお、その附帯決議に法的拘束力がないから意味がないなどという論外も甚だしい意見もありましたが、附帯決議は立法の意思であり、立法の意思は法的拘束力とは別次元で考えられるべきものです。立法の意思を政府が無視するにも道理が必要なわけで、リテラシーがわかってない人の思い付きは勘弁してほしいと思います。このような思い付きで無責任な意見を言う人には、長期入院している仲間のことを考えると怒りさえ湧いてきます。
 

 このような状態を招いてしまったことには、理由があると思っています。それは、向かうべき方向性や戦略・戦術を持たないまま、闘わざるを得ないことへの苛立ちなのだと思います。だからこそ、向かうべき方向性が見えにくい今、どんな人でも、今回は勝てるのではないかという気持ちにさせるような運動を作り上げ、再び全員が結集し闘える状況を作り上げていきたいと思います。
 

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